キャンナス災害支援チーム(ぐるんとびー、オレンジグループ)の輪島支援活動が神奈川新聞で連載されました。ぐるんとびー代表:菅原健介さんのfacebookの5月8日の投稿よりご紹介します。
本日、神奈川新聞の一面で連載が始まりました。
補足的に連載のたびに、その時の僕が感じた状況を、
共有していこうと思います。
2024年1月1日。
医療法人オレンジグループ代表の紅谷先生
医療法人かがやきグループ代表の市橋先生
キャンナス代表の菅原由美さん(実の母です)
を中心に動き出し、その要請もあって、
僕は災害支援に動き出しました。
まこっさんや小田切さんにも背中を支えてもらいました。ポラリス代表の森先生も心の支えでした。
1/8から僕らは輪島市にある社会福祉法人弘和会の
畝理事長から輪島市のウミュードソラ避難所の運営を
キャンナス災害支援チームが任されました。
僕はそのチームの代表になりました。
オレンジグループの紅谷医師は一歩後ろに引きながら、
共同代表的に支えてくださいました。
ぐるんとびーの石川和子が統括コーディネーターとして輪島入りし、初期はキャンナス、オレンジ中心。
そのあと1月いっぱいはオレンジ×ファムスコ(福祉楽団、愛川舜寿会、みねやま福祉会、小田原福祉会、風の村)の方々が中心に動いていました)
避難所運営をどうするのか。
キャンナスに弘和会の避難所を任せるのか、
キャンナスは他の避難所の支援に回るのか。
僕らも畝理事長もものすごく悩みました。
その後、さまざまな状況を考えました。
山梨牧丘病院の古屋先生などの活動など
本来のキャンナスがやる動きとは、
今やるべきことは?など相談に乗っていただきながら
本当に、本当に悩みました。
畝理事長もむちゃくちゃ悩まれていました。
そして畝理事長からスタッフへ涙ながらに
『今は大好きな輪島を離れて避難を優先させよう』
『キャンナス災害支援チームに運営を任せよう』
という話し合いの場が持たれました。
また避難者の受け入れ方針として、
【一般避難者をケアするのではなく、要介護や要配慮、
医療ニーズがあるなど重症度が高い人を受け入れる】
ことを決定しました。
運営スタッフを弘和会のスタッフから
キャンナス災害支援チームに切り替えました。
その裏でもともと弘和会の施設を運営してきた
管理者やスタッフ、利用者やそこに避難していた
一般避難者(自主的に2次避難できる人)には、
2次避難を進めました。
【自分たちは追い出された。支援とはなんなのか。
施設を外部から乗っ取り、一般被災者を避難所から追いやるのが支援なのか?】
という声がたくさんのスタッフからあり、
1/8の時点で、そして今でも
根深く残っています。
輪島市にも避難者から『私たちは追い出された。福祉避難所は人を追い出すところなのか!』と苦情が入り、
畝理事長や僕らは対応していました。
誌面に書く時は【一般読者にもわかりやすく】
そして、記者の視点で描きます。
テレビも本もそうですが、そもそもこの投稿含め
誰かが何かを伝えるときに複数視点で書きすぎると
わからなくなります。
わかりやすくするため、誰かを中心に、
どこかの視点で描かれます。
その中心になる人はヒーローに見えがちです。
ただ、被災地支援にヒーローなんていないと思っています。
誰かのヒーローは誰かにとってのヒールです。
まだまだ被災地の状況は改善しておらず、
この時点でメディア対応や、振り返りなども
行うべきではないと言う視点もあると思います。
ただ、僕は今、この感情の動きがある時だからこそ
かけることもあると思っています。
スタッフの方など傷ついている方を
さらに傷つけてしまうことがあるかもしれません。
いま、畝理事長からの視点での記事も
神奈川新聞さんが取材をしてくださるとの事。
視点が変われば見え方も変わる。
1視点からの記事だけでは、特に今回の
災害支援は立体的に見えてこないと感じています。
違う視点での記事があり、賛否が起こる。
そこに対話が生まれ、次の災害支援や
未来につながっていくのではないか?と僕は信じています。
前線に駆けつけてくれた人、後方で支えてくれた人、
関わってくださった皆様のおかげで、今があります。
ありがとうございます。
ライターの田崎さんにも心から感謝です。
今月10日はかながわ福祉サービス振興会主催で
【ほんとうの支援ってなんだろう?】
というテーマをいただき、公演させて頂きます。
僕自身があの時も、今も悩んでいるテーマに
向き合わせていただく時間です。