HOMEHELP         2002年12月

元ナースたちが、ホームヘルパーとして医療知識を生かして大活躍

                                            
ナースヘルパーとしう存在をご存知だろうか?
ナースヘルパーは、看護師の資格や経験を持つ者が、訪問看護ではなく訪問介護サービスを
行い、身体のみならず家事援助までをカバーする。
この画期的システムを、おそらく日本で初めて大掛かりにスタートさせたのが、訪問ボランティ
アナースの会「キャンナス」だ。
 なぜナースが掃除や買い物を? と疑問に思う読者もいるかもしれない。
その質問に答えていただいたのは、「キャンナス」代表の菅原由美さん。彼女自身も元ナース
で大学の付属病院に勤務していたが、結婚を機に退職。その後、3人の子育てをしながら企業
医務室の非常勤や保健所のパート職員として働いてきた。夫の祖母と両親の介護や看取りの
経験もある。
 「キャンナスでナースヘルパーとして働くのは、主に医療現場で働いていた元ナースたちです。
看護師の資格や経験がありながら、なんらかの理由で退職した、いわゆる潜在ナースは日本に
100万人以上いるといわれています。もともと看護師を目指すような人は、人の役に立ちたい、お
世話をしたいという思いが強く、職場を離れる理由も、仕事が嫌で辞めたというより、結婚や出産、
または患者さんのために頑張りすぎて燃え尽きて辞めてしまったという人が多いのです。ところが、
しばらくしてから、また何かしたいと思っても資格を生かす道もなく、かといってハイテク化され日進
月歩の医療現場に戻るには大変な勇気が必要なんです。その意味でナースヘルパーなら、または
ボランティア活動ならスキルを生かしてやってみたいという人も多いのです」と菅原さんは言う。
 在宅での療養となると、家族の負担はおのずと大きくなる。ヘルパーが看護師の資格を持ってい
るということは、万が一のときにも安心であるから利用者の要望も大きい。
 菅原さんは、「個人的問題というより制度的問題」とした上で、ヘルパーの教育課程の不十分さを
指摘する。「現行の制度ではヘルパー2級はわずか130時間の研修期間しかありません。オムツを
換えたこともない人が、いきなり片マヒの利用者の所へ行ってオムツを交換しているケースも少なく
ありません。目の前のオムツ換えに精一杯で、利用者さんのほかのこと、例えば、褥そうや顔色の
変化などを配慮することは難しいと思います。そのため、今は仕事をしていないけれど、過去に医
療的な教育を受けたナースが、ヘルパーの役目もすれば、即戦力になるのではないかと思ったの
です」かといってナースヘルパーも位置付けは「ヘルパー」のため、医療器具は持たず、バイタル
チェックも行わない。ヘルパーに徹しつつ、ナースならではの身体の観察や健康への配慮が加わ
るわけだ。いわば看護と介護の中間をつなぐパイプ役ような存在。介護保険の利用者にとっては、
訪問看護に比べ料金が安くて済むが反面、看護師の立場から見れば価格破壊ではないか、との
批評もある。「キャンナス」では、訪問看護もナースヘルパーも時給は同一賃金に設定していると
いう。
 「キャンナス」が誕生したのは平成9年3月。長年、在宅療養を支援する訪問看護をしたい、と思い
続けてきた菅原さんに転機が訪れたのは7年前の阪神大震災だった。「看護師が足りない」とのテ
レビニュースを見ていた菅原さんは「私の出番。これ、私しか行く人いないでしょ」と即座に思ったと
いう。「今から思えば大変なうぬぼれだったわ」と苦笑するのだが、看護師にして、ガールスカウトを
通して培っていたサバイバル術の指導者だった菅原さんは、家族の同意を取り付けて被災地へと
飛び込んだ。しかし、いざ現地に行ってみると、菅原さんのように考えたナースでいっぱいだった。
日本中の風邪薬が神戸に集ったとさえいわれていた状況だったのだ。避難所を尋ねても「看護師
さん? それならさっきも来てくれたわ」と中へさえ入れてもらえないことも多かったという。
 しかし次第に持ち前の行動力を発揮。若い医師を引き連れて避難所を回り始めた。医師と一緒
ならどこの避難所でも歓迎された。そしてそこで「アジア医師連絡協議会」の医師と出合った。
菅原さんはその医師に「元ナースてちにゆよる在宅ケアの会」の夢を打ち明けた。すると彼は、
「あなたの想いは時代にマッチしているから、必ず仲間が集まる。夢を実現するため、声に出して
伝えなさい」とアドバイスしてくれた。
  菅原さんは、神戸とクロアチア(!)でのボランティア活動を終えた後、自分の想いを手紙に書い
て地元のミニコミ誌や新聞に投稿した。反響は大きかった。最初に取り上げたミニコミ誌で28名集
まった。次に新聞で告知した説明会では、土砂降りの雨にもかかわらず60数名が集結した。
 こうして「キャンナス」は、まず会員制有償ボランティア団体として誕生(年会費は3,000円)。
当初は看護師が医師の指示もなく単独で医療行為を行うことに横やりが入り、看護師免許を剥奪
するぞと言われたこともある。しかし菅原さんは一歩もひるまず行政を説得してまわった。「実際に
困っている人がいて、行政も助ける方法がない、じゃあ、いったい誰が手をさしのべるの?」と。
平成10年には介護保険導入に合わせて訪問看護・介護を行う有限会社「ナースケア」を設立。
介護保険法施行による身体介護も認められるようになった。
 現在は介護保険によるケアプラン作成、訪問看護サービス、訪問介護サービスの三本柱で業務
を行っている。ほかにもボランティアによる送迎サービス、外出・外泊援助、子育て・家事支援、
介護保険対象外の方の介護などの活動がある。
 NPO法人取得も検討されたが、日本での優遇税制の導入はまだ現実的ではないとの理由など
から、あえて有限会社を選んだ。最初は、夫の会社の一角に間借りだった4畳半の事務所も、現在
は神奈川県藤沢駅から徒歩5分、介護の情報サロンを併設する50坪の事務所へと変わった。
 現在、看護師やヘルパーなどサービスの提供者は300人を超えた。「キャンナス」は藤沢の本部
だけでなく、東京、愛知、高知など6ヶ所に広がった。それだけ、菅原さんと想いを共にする潜在看
護師の数が多い証拠だろう。「全都道府県に最低ひとつの『キャンナス』を」という夢もある。
 菅原さんはケアマネジャーも兼務し、保健所のパートタイマーも続けているが、社長業が多忙を
極め、現場や利用者と離れてしまうのが少し寂しげにも見えた。
 「なぜ、在宅ケアにこだわるんですが?」の問いに、菅原さんは少し驚いたようだった。「こだわる
・・・? こだわるというより、自分の家で療養したり、死を迎えることは人間として当然の思いではな
いでしょうか。現在のケアは、医療費がかかりすぎるので政策的に病院から追い出され、在宅が増
えただけで、本人の希望によって社会に定着したわけではありません。私は、一人ひとりが自分の
意思で在宅ケアを安心して選択できる社会になってもらいたいんです」
 組織は、ここ数年で大きく変貌を遂げたが、菅原さんの熱い想いは少しも変わっていない。
  全国の元ナースたちが菅原さんの想いに連動して動き始めている。